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チラシ印刷よもやま話

チラシ印刷の現場から。チラシの裏に表に色紙に書きたい話。

チラシの耳★その日、天使がいた

チラシの耳

 

音楽ブログが好きで、最近は朝から流したりしている。

するとだんだん、自分もふだん聞いてる音楽をUPしてみようかな、と思ってきた。

題して【チラシの耳】(パンの耳みたいな)。

自分にとって第1回目にふさわしいのは・・と思ったら、やっぱり、この人しかいなかった。

 

ルイ・アームストロング(通称サッチモ)。

そして曲は当然、「What  a  Wonderful  World」(この素晴らしき世界)。

        

  

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1967年12月、ベトナム戦争が最も熾烈だった頃、ルイ・アームストロングは米陸軍基地フォート・フォードを慰問に訪れた。 

当初、ベトナム戦線に身を投じた若者の多くは、戦闘することが目的ではなかった。米国本土では楽勝ムードが報じられていたし、兵役につくと大学進学のための奨学金を受けられたり、移民たちは米国籍を得られるため、出兵した7割は中流以下の貧しい家庭の若者たちだった。

結婚したばかりの若者たちも、苦しい家計を支えるために、妻や生まれたばかりの赤ん坊を残して、ベトナムに向かった。そして、その多くは白人だった。

 

戦地の兵士たちは、楽勝ムードの中、ベトナムの女の子とデートしたり、ロックンロールを踊ったり、バーで酒を飲んだりして、本国にいたときよりも羽を伸ばしていたと言っていい。

 

ところが戦況は泥沼化していく。兵士たちの間には、不安と絶望感が蔓延していった。

 

そんなムードを一新しようと、戦意高揚のために本国から送り込まれたのが、慰問団だった。 

多くの慰問団は戦意高揚の歌をうたい、踊り、最後には国歌を斉唱して、勝利の雄たけびを挙げた。

 

ところが、その慰問団だけが、違っていた。 

若い白人兵士たちに向かって、米国本土で黒人差別に苦しめられてきたサッチモが歌い始める。      

  


誰もが彼の歌に引き込まれ、兵士たちは戦闘を忘れて、喝采した。

この日の喝采は、戦意高揚の喝采ではなかった。

兵士たちは、地を見わたした。亜熱帯に咲きほこる美しい花々。

兵士たちは、空を見上げた。青く澄みわたるベトナムの空。真っ白な雲。

戦火の中、行き交う人々。額に汗して農作物を収穫する人たち。

そして彼らには聞こえた。本土に残してきた、赤ん坊の泣き声が。

 

サッチモの、しわがれたダミ声は、まるで天から降りてきた天使のように、悩める兵士たちを優しく包み込んでいるかのようだった。

 

そして曲が終わると、戦地とは思えないハッピーなハロー・ドーリーが始まり、手拍子する兵士たち。コミカルなダンスをするサッチモとトロンボーン奏者。

 

 

           そのときの映像が、これである。

 

 

                     youtu.be

 

 

この日以降、ベトナムに戦意高揚のために送り込まれたラジオジョッキーも、上官の命令を無視して、ラジオで「What  a  Wonderful  World」を流した。

その様子は映画『グッド・モーニング・ベトナム』にも描かれている。

 

 

            「What  a  Wonderful  World」

                反戦の歌ではない。

                  無戦の歌。

 

 

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◉ルイ・アームストロング : 本名 ルイ・ダニエル・アームストロング

 

1901年、ニューオリンズの極貧の家に生まれる。

13年頃、路上で母親のピストルを持ち出して発砲事件を起こし、施設に送られた。

しかし、この黒人浮浪児養護施設でコルネットを吹くことを覚え、音楽によって彼は救われる。

施設を出た後、地元のあちこちのバンドで吹き、同じコルネット奏者のジョセフ・キング・オリバーと出会う。

オリバーはルイを高く評価し、ルイはキング・オリバー楽団の一員として活躍。その後、同じバンドのピアニストと結婚し、これを機にバンドを脱退。

20年代の終わり頃には大編成の楽団を率いるようになり、30年頃からはトランペットを吹くことに傾倒。またこの頃から盛んに歌も吹き込むようになる。「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれ、アメリカの音楽の発展に多大な影響を与え、スキャット唱法も生み出した。

彼が最高の男性ジャズ・シンガーと言われるゆえんは、完成された表現力にあると言われる。

「ブルーベリー・ヒル」や「バラ色の人生」などのポップスも好んで歌った。

1971年、ニューヨークの自宅で永眠。

 

 

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あまり知られていないが、「What  a  Wonderful  World」は米国本土ではあまり売れなかった。

理由はお察し頂きたい。

しかし、この曲を知った英国の若者たちの間で大ヒットし、全英チャートで1位となる。

やがて、ベトナム帰りの兵士たちが、米国中に静かにこの曲を広めていった。

 

そしてこの曲は、永遠の平和ソングとなった。

 

   

 

 

   

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