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マイケルの誇り

 

これから書くことは、まったくの私見です。

殆んどの方がご存知のマイケルとは、別のマイケルかも知れません。

長文ですので、支障がない方のみ、お願いします。

 

2009年6月25日、世界の大スター「マイケル・ジャクソン」が突然死しました。

英国ロンドンで行われる予定だった「THIS Is Itツアー」公演の直前のことでした。

死因はすぐには公開されず、後にマイケルに睡眠薬を処方していた専属医師の証言で、

数種類の薬を複合したことによる中毒死だったと結論づけられました。

 

彼はロンドンでの「THIS Is Itツアー」公演で、ある発表をしようとしていたそうです。

一説には、いわゆる陰謀論を暴露しようとしていたなどとも言われていますが、

私はそうは思いません。

 

私は、英国の若者たちの間で囁かれていたという、別の説が有力だと思っています。

日本ではあまり知られていないようですが、マイケルはイスラム教徒になっていて、

そのことを発表しようとしたので殺されてしまったという説です。

 

私が、この説の方が有力だと思うのには、理由があります。

 

 

マイケルとダイアナ妃の共通点

 

マイケルとダイアナ妃の友情については、ご存知の方も多いと思います。

マイケル1987年に発表したアルバム『BAD』は全米チャートNo.1を獲得しました。

その中に『Dirty Diana』という曲が収められていました。

 

この『BAD』成功を記念したワールド・コンサート・ツアーが開始され、

英国ウェンブリー・スタジアムで公演した際、ダイアナ妃も聴きに来ていました。

マイケルは、『ダーティ・ダイアナ』は尊敬しているダイアナ妃に失礼と思い、

歌わないつもりだったそうです。それを聞いたダイアナ妃は、

「この歌は私の好きな歌の一つだから、歌ってほしい」とマイケルに懇願しました。

 

こうしてマイケルは『ダーティ・ダイアナ』を歌うことになりましたが、この出会いが

マイケルとダイアナ妃を強く結びつけ、2人は心が通じ合う特別な友となりました。

 

共にパパラッチに追い回され、事実でないデッチアゲを報道され続けた2人であり、

共に世界の子供たちのために活動を続けてきた2人です。

心が通じ合わないはずがありません。

マイケルは、深夜にダイアナ妃に電話して互いに涙ながらに様々なことを話したと、

1997年のインタビューで語っています。

 

ダイアナ妃が1997年8月31日、事故(?)で36歳という若さで亡くなった日、

コンサート・ツアー中だったマイケルは、その日のコンサートを中止し、

泣き崩れたと、後のインタビューで述べています。

 

ダイアナ妃が事故死したのはエジプト系のドディ・アルファイドと再婚する直前でした。

ドディの父モハメド・アルファイドは、ロンドンの名門百貨店ハロッズや、

パリのリッツ・ホテルのオーナーで大富豪。そしてドディは、イスラム教徒でした。

再婚することは、ダイアナ妃がイスラム教徒になることを意味していました。

キリスト教の英国国教会のトップであり、将来イングランドの王になるであろう

ウィリアム王子やヘンリー王子の母がイスラム教徒になるということは、

あってはならない大問題だと、パパラッチが2人を追いかけていた中での事故でした。

 

事故当日、「ダイアナ元妃はドディの子を妊娠していた」とも言われました。

息子ドディを失ったモハメドは「事故は英米の情報機関員ら5人よる陰謀だ」と主張。

パリの捜査当局に再捜査を要請しましたが、却下されました。

 

2003年10月には、ダイアナ妃が亡くなる10カ月前に執事宛てに書いたという、

「私を交通事故に見せかけて殺す計画がある」という手紙が公開され、

本物かどうかが大きな話題となりました。

しかし、決め手となる証拠がないとの理由で、うやむやにされてしまっています。

 

 

              1993年別居直後ダイアナ妃が友人にあてた直筆のレター。

         「夫は私の車をブレーキの故障の『事故死』、深刻な頭部外傷を計画している

  

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                       ダイアナ妃の直筆のレター。

「I am sitting here at my desk today in October, longing for someone to hug me and encourage me to keep strong and hold my head high.
"This particular phase in my life is the most dangerous. My husband is planning an accident in my car, brake failure or some serious head injury in order to make the path clear for him to marry Tiggy(TiggyLegge-Bourke). Camilla is nothing more than a decoy so we are being used by the man in every sense of the word."」

 

 

  

 

アメリカとマスコミが掌を返すきっかけとなった曲

 

話をマイケルに戻しましょう。

1985年初頭、エチオピアとスーダンの人たちが飢えに苦しんでいることを知った

マイケルが、ライオネル・リッチーと書き上げた歌が「We Are The World 」です。

この頃から、マイケルの思想は明確になっていきました。

 

1996年にシングルリリースした「THEY DON'T CARE ABOUT US」という曲は、

マイケルが為政者の怒りを買った最初の曲だと言われています。

これを発表した頃から、マイケルへのバッシング報道が始まったのも事実です。

この曲は、マイケルが為政者に喧嘩を売った曲だったからです。

 

マイケルは、ブッシュ大統領がアフガニスタンとイラクに戦争をしかけたとき、

激しく反対し、平和を主張した歌を各地で徹底的に歌いました。

そのツアーの合間、ホテルのバルコニーから息子をファンに見せたことが、

「幼児虐待だ」として非難を浴びました。

マイケルが、ブッシュ政権を非難したことはほとんど報道されず、

この場面だけが何度も報道されたのです。

 

その直後、少年ファンに性的虐待行為をしたという疑惑で逮捕されます。

その後も、何度も裁判を起こされ、スキャンダルがでっち上げられました。

これによってマイケルのアフガニスタンとイラクへの反戦活動は出来なくなりました。

 

ブッシュが大統領を退くと、マイケルは再び活動を始めます。

そして欧米の白人社会に広がる反イスラムの流れを止めるため、英国ロンドン公演で

自分がイスラム教徒になったことを発表する予定だったというのです。その上で、

世界中から宗教的偏見や人種差別を無くそうと呼びかけようとしていたというのです。

 

もし、マイケルが自ら「最後のLIVEになる」と宣言していた「THIS Is Itツアー」で、

これを実現させていたなら、世界中で宗教的な対立を乗り越えて平和を求める動きが

拡がっていたかも知れません。それだけの影響力をマイケルは持っていました。

反イスラム感情を煽ってイスラム諸国への攻撃を正当化しようとしている為政者たち

にとって、マイケルの「THIS Is Itツアー」は驚異だったのかも知れないのです。

 

難解な書物も、歴史の真実も、後(結果)から先(原因)をさかのぼってみると

事実が見えてくるということが、よくあります。

イスラエル+キリスト教国VSイスラムという世界の対立の構図を作りたい人々と、

それを阻止するために宗教と人種の和合を呼びかけようとしたマイケル。

 

私は、マイケルがイスラム教徒になってでも世界の対立を回避しようとしたのではないか、

この見方が、あながち的外れとも言えないのではないかと思えるのです。

 

 

マイケルの整形手術と白手袋の真実

 

マイケルの整形手術について、マイケルは白人に憧れて自分も白人になろうとして

何度も整形手術を行ったと信じている人が多いと思います。

しかし、彼が顔に大怪我を負わされたことが整形手術のきっかけだったことを

知る人は多くないのではないでしょうか。

もし彼が本当に白人を目指していたのなら、なぜ髪を金髪にしなかったのでしょうか。

彼はずっと黒髪のままでした。

 

また、彼はよく右手に白い手袋をはめていました。どういう意味かご存知でしょうか。

かつてベルギー領だったアフリカのコンゴでは、ベルギー国王レオポルト2世が

経営する大規模ゴム農園で、黒人が奴隷労働を強制されていました。

黒人奴隷には、ノルマとして1日に採集するゴムの量が決められていて、

1日でもノルマが達成できないと、白人オーナーの〇〇〇〇〇〇は、

黒人奴隷の右手首を、子供であっても斧で切断するよう命令していたそうです。

 

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マイケルの白手袋は、現在は世界銀行のオーナーとなっている〇〇〇〇〇〇家への

抗議を示したメッセージでした。

だからホワイトハウスでも、ひんしゅくを買いながらも手袋を外さなかったのです。 

 

 

私がマイケルの最高傑作だと思う曲

 

私がマイケルの最高傑作だと思うのは「Heal the World(ヒール・ザ・ワールド)」。

1991年リリースで、マイケル自身も好きな曲を聞かれたときは、

「Thriller」でも「Bad」でも「Billie Jean」でもなく、たいていこの曲を挙げました。 

 

Michael Jackson - Heal The World (Official Video) - YouTube

 

 

 

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※最後に

人は風評で判断されるべきではなく、行いで判断されるべきだと、私は思います。

 

 

●ロシア連邦保安庁(FSB)の大統領への報告 「マイケル・ジャクソンはCIAに暗殺された」
【6月26日 By: WhatDoesItMean.com 】

FSB筋はメデベージェフ大統領に、マイケル・ジャクソンは“ほとんど間違いなく”アメリカのCIAによって暗殺された、と報告している。ロシア軍コスモス2450衛星が“決定的に”示すことは、ロサンジェルスでのスーパースターの死の直前、ソ連時代アメリカに盗まれたEMR兵器の型の電磁波パルスがマイケルの自宅に照準が合わせられて使用されているということだ。

ソ連の研究を元にアメリカの軍産複合体が完成した、こうした暗殺に使用されるこのタイプの技術について、我々は「人権侵害に反対する市民」会長のシェリル・ウェルシュ氏の「電磁放射兵器:原子爆弾のように強力」のタイトルの報告書の中に以下の記述を見る。
 「新たに機密扱いとなった国防省諜報庁(DIA)の報告書では、マイクロウェーブに対するソ連の広範囲に及ぶ研究は、混乱した言動、神経障害、心臓発作さえも惹き起こす方法の研究に及ぶかもしれない、という。・・・AP通信社に出したDIAの報告のコピーは報道の自由法に基づき要求されたもの。国防総省の機関であるDIAはこの研究のある分野については、国家の安全保障にかんする機密の部分になるためとして、公開することを拒否した」

更に重要なことは、ウェルシュ女史の2001年の記念的な報告書以来、アメリカはこの陰湿な技術を高度化させ、活性抑制システム(ADS)と名づけた。ニュー・サイエンティスト誌が2005年に報告しているように、「アメリカ軍は新・非致死兵器を開発しようとしている:フェーザーのプロトタイプか?」として、「アメリカ軍は2kmの距離から耐えられないような苦しみの発作を起こさせる兵器の開発に予算をつけた。これは暴徒らに対して使用されることが意図されていて、被害者は無傷のままとなる。しかし痛みを研究している者たちは、痛みをコントロールする研究が、兵器の開発に利用されていることに怒っている。彼らはこれが拷問に使用されるのではないかと恐れている」という。