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チラシ印刷よもやま話

チラシ印刷の現場から。チラシの裏に表に色紙に書きたい話。

祖母の日

雑記 チラシの耳

  

私にとっての母は、祖母。

10歳のとき、1年だけ祖母と共に暮らした。

身内と暮らしたのは、この1年だけだったが、

この、たった1年が、その後の人生の支えとなった。

 

明治生まれの祖母のしつけは厳しく、

何度も灸(やいと)を据えられて、

背中にはいつもヤケドの跡が残っていた。

夏になると、海やプールで友達に揶揄された。

 

左利きを無理やり、右利きに矯正され、

トレードマークだった八重歯は糸をからめて無理やり抜かれた。

 

学校で女の子のスカートをめくって泣かせたときは、

はたきの柄で、手の甲を何度も叩かれてミミズ腫れになった。 

 

私に初めて本を与えたのも祖母だった。

少年少女文学全集と百科事典。

娯楽のない瀬戸内の島で、

雨の休日は、本が宝物になった。

 

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1年が過ぎ、祖母のもとを離れた後も

「母の日」には祖母に贈り物をした。

カーネーションとか、裁縫道具とか、

小銭で買えるものしか贈れなかったけれど。

 

祖父が海軍、父が海上自衛官だったが、

祖母が私の進路について口にしたことはなかった。

そんな祖母が、私が商船高専に入学したとき、

誰よりも喜び、祝ってくれた。

 

  

 

祖母は畑仕事をしながら、ずっと1人で暮らしていて

私が36歳のとき、97歳で静かに息を引き取った。

祖母の友人がそれを発見し、東京で働いていた私に教えてくれた。

土間のパイプ椅子に座っていて、肩を叩いたら、

そのまま崩れ落ちて、すでに息が無かったそうだ。

 

葬儀のため東京から駆けつけた私に

集まっていた親戚たちが、仏壇を指さした。

仏壇の棚には「葬儀費用」と書かれた祖母自筆の封筒と遺言書、

そして私が祖母に送り続けた仕送りの封筒たちが、

手を付けられないまま、供えられていた。

 

仕送りの封筒の一番上に、こんなものが置かれていた。

(かなり古いもので字がカスレて読みづらくてすいません)

 

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私が祖母と暮らしていたとき通っていた島の小学校で、

1週間に3回も忘れ物をして、先生に渡された「わすれもの」メモ。

当時はコピー機なんてシャレたものはなく、ガリ版刷りだった。

 

「おばあ、こんなもん、ず~っと大事にとっといたんやなぁ・・・

 1年しか一緒に住んどらんかったのになぁ・・

 

叔母の旦那さんが、そう言って、泣きだした。

その涙が引き金になって参列者たちが皆、泣いた。

 

  ◆◆

 

先日、ふと「わすれものメモ」のことを思い出し、

探してみたら、古い手帳のポケットから出てきた。

 

「わすれものメモ」を読んで、笑った。

 

笑った後、おえつが込み上げてきて、

押さえきれない涙が溢れてきて、止まらなかった。

 

・・・ばあちゃん・・

荒れそうになったこともあったけど、

ばあちゃんに顔を合わせられないことだけはしないと、

思いとどまったよ。

 

ばあちゃんの葬儀から1年後、

身に覚えのないことでドン底に叩き落され、

何もかも失って独りになったとき、

あきらめないで立ち向かうことができたのは、

いつも信じてくれていた、ばあちゃんのおかげだよ。

 

ばあちゃん。

ありがとう。 

 

youtu.be

  

 

2016.05.06 isaku

 I ’m honored to be your grandson

 

 

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