読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

チラシ印刷よもやま話

チラシ印刷の現場から。チラシの裏に表に色紙に書きたい話。

船の学校アルアル

 

少し前の記事へのコメントで、私が通っていた船の学校についてご質問を幾つか頂きましたので、商船高専のお話を。

商船高専って、どんな学校?

俳優の北村一輝さんの出身校ということで、ちょっとだけ話題になったことがある商船高等専門学校。ヨットの世界大会で4位に入ったことでも、ちょっとだけ話題になりました。

f:id:levites:20160413111952j:plain

誰もが彼のように濃い顔をしている訳ではありませんし、ローマ人でもありません。ちなみに、ジブリ映画『コクリコ坂から』の主人公のお父さんが商船大学か商船高専の出身で、映画の中にちょっとだけ出てきます。  

船を操縦する免許には大型(20トン以上)と小型があり、大型免許(航海士・機関士)は甲種(外国航路)と乙種(国内航路)に分かれます。

国立商船高等専門学校(日本全国に5校)は、甲種の上級士官免許を取得する教育機関で、席上課程4年半+航海実習1年の計5年半。乙種は水産学校・海員学校等で取得します。  

現在は男女共学で(くそーっ悔しい)、船舶以外の学科もありますが、30年以上前は男子のみの全寮制で、航海科と機関科だけでした。

 

 『海猿』+宝塚音楽学校÷2

 

商船高専を分かりやすく形容すれば、『海猿』宝塚音楽学校 ÷ 2

訓練は映画『海猿』にちょっとだけ近いものがあります(バディとの潜水訓練はなく加藤あいはいません)。礼儀作法は宝塚音楽学校にちょっとだけ近いものがあります(あんなに女子力高くありませんが)。 

寮生活は、4人で2部屋(勉強部屋と寝室)を共有。訓練で裸の付き合いをし、同じ釜のメシを食らい、同じ部屋で暮らすと、打ち解けるのは早いです。

 

1年奴隷・2年兵隊・3年人間・4年士官・5年天皇だったかな? うろ覚えですが、そう言われていて、1年生は年中、奴隷服 セーラー服を着て過ごします。セーラー服といっても、スカートではないですよ。はきたかったですが こういうのです。

f:id:levites:20160413115511j:plain

外出時や行事の際は、濃紺の制服を着ます。

f:id:levites:20160414102004j:plain

分かりづらいですが袖に3つボタンが横並びに付いていて「魔除け」「水難除け」「女除け」と言われていました。

2年生、3年生になっても彼女ができないと、ボタンを1つはずすヤツが1人、また1人と現れ始めます(笑)

 

1年生は、上級生の顔を見てはいけないので、常にうつむいて生活します。歩いていて先輩とすれ違うと、直角以上に体を折り曲げてをしなければなりません。

登下校の際、自転車で通う先輩たちとすれ違うたびにをするので、キツツキのようです。電信柱や知らない人にキツツキするのも日常茶飯事。 

宝塚音楽学校の1回生は阪急電車にもをします。電車の中に先輩が乗車している可能性があるからです。似てるでしょう? え?違う?

 

俺・僕・自分・アタシ・・ぜんぶダメ

 

私は自分のことを「私」と言うのですが、商船校時代についたクセです。商船高専では自分のことを「私」と言うことしか許されません。

でも中学まで「俺」って言ってたら、つい「俺」って出ちゃいますよね? つい言っちゃったら、 殴られ蹴られボコ 可愛がられます。寮長である空手部の主将に。 

なので絶対に「俺」とか言わないように、1年生はスリッパに「私」とマジックで書くんです。

 

f:id:levites:20160411194959j:plain

 

うつむいて生活してるので、常にスリッパの「私」が目に入ります。だから言い間違わない、というわけです。私は1度だけ可愛がられました。

 

食事は5分以内に食べなければなりません。お椀の持ち方や、肘の位置や角度まで定められています。 

そんな商船生活の名物といえば、インキンタムシになった〇ン〇ンの甲羅干し。過去記事にありますので興味のある方どうぞ。  

levites.hatenablog.com

 

地獄のタンツー

 

椰子の実で船の甲板を磨くことを「タンツー」といいます。

f:id:levites:20160413220432j:plain

これがキツイんですが、寮生活で誰かがポカをやらかしますと、連帯責任で学年全員が寮の廊下でタンツー訓練をやらされます。 

雑巾がけなんですが、朝の起床に1秒でも遅れたり、ボタンがほつれているだけでタンツーですから、週に1回位はあります。

廊下の端から端まで100mとして、20往復で2km。何人かは必ずヘドを吐いてぶっ倒れます。それでも尻を蹴られて続けなければなりません。

 

どうでしょう、ウンザリしましたか? 私も、しました(笑)

 

数少ない楽しみは、やっぱりアレ

 

そんな中で、ちょっとだけ楽しみと言えば、寮の地下に隠れてやる麻雀と・・・詳しくは後ほど。 

最後の1年の航海実習、当時は日本丸や海王丸に乗船して外航しました。

f:id:levites:20071129135852j:plain

小さすぎて見えないかもしれませんがマストに商船生が登っています 

 

最近のがyoutubeにありました。こんな感じです。

youtu.be

この後、帆を降ろしますが、続きのVがないので

帆を開く様子は「開港祭」のVで。

youtu.be

 

外航から戻って来る先輩のお土産が、下級生にとっては何よりの楽しみでした。そのお土産とは、美しい外国人女性たちがニッコリとほほ笑んで躍動している、フルカラーの綺麗な雑誌です。なぜか税関を通過できないシロモノで、そんなシロモノがネットに溢れている今と違って、当時は滅多にお目にかかれない貴重品。この時ばかりは上級生と下級生の間にある「ベルリンの壁」が撤廃されるのです。

 

そして最大の楽しみといえば、カノジョからの手紙と 面会 デート。私にも初恋がありました・・

levites.hatenablog.com

 

       ◆

 

【おわりに】

高度成長期が終息し、外航や輸送の主力が航空機になると、船乗りの需要は激減しました。 私もマスコミ業界(企画・編集)に就職しました。それでも商船校での経験が役立つことがありました。 

海で溺れそうになったとき、慌てず騒がず諦めず、大きく息を吸い込んで仰向けに浮いて空を見上げ、体力を温存しながら陸に向かう潮の流れをつかんで身を任せ、助けを待ちつつ、ここぞというところで全力を出す。

「人生オワタ」と思うようなどん底で溺れずにすんだのも、商船校での訓練のおかげかも。

f:id:levites:20160411200210j:plain

 

 

www.kanan-press.com