親友ジョージ・ハリスンの妻に捧げた曲
1960年代、英国に「ヤードバーズ」というロックバンドがあった。
3大ロックギタリストと称されるエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジは、いずれもこのバンドのギタリストだった。
その1人、エリック・クラプトン。ロンドン市内の落書きに「神」と書かれたことから、
ギターの神様と呼ばれた。誰が名付けたか、あだ名はスローハンド。
指があまりにも速く動いて、まるで止まって見えるから、とも、
腕はゆっくり動かすのに指は早く動かして演奏するから、とも言われる。
彼の代表作といえば『いとしのレイラ』(原題:レイラ)。
この曲は、ペルシャ文学の古い詩「ライラとマジュヌーン」からインスパイアされた。
「ライラとマジュヌーン」は、青年マジュヌーンが美しい女性ライラと情熱的な恋に落ち、
彼女の父親に結婚を禁じられ、気が狂ってしまうという物語だ。
当時、クラプトンはビ-トルズのレコーディングに参加していて、ジョージ・ハリスンとは親友。
ところがクラプトン、こともあろうにハリスンの妻パティ・ボイドに恋をしてしまう。
その悩み苦しむ思いから生まれた曲が『いとしのレイラ』である。
1977年、パティ・ボイドはハリスンと離婚し、クラプトンと結婚した。
ところがハリスンは2人を祝福し、結婚祝賀会にビートルズのメンバーと出席した。
ハリスンは親友と元妻との結婚を祝福したのである。
結婚後、クラプトンはボイドのために『ワンダフル・トゥナイト』を作曲。
アルバムも続けざまに発表。クラプトンは、スターの座を揺るぎないものとした。
ところが、頂点に立つと人は狂ってしまうのか、彼は薬物とアルコールに溺れていく。
交通事故も起こした。彼は妻ボイドとの子供を欲して、長きに渡って不妊治療をするが、
子供を授かることはなかった。そんな中、別の女性と関係を持ち、子供を産ませている。
そして1986年、クラプトンはイタリア人女優ロリ・デル・サントと関係をもち、
男児コナーをもうける。さすがに妻ボイドもクラプトンと離婚。
この後、クラプトンはアルコールとヘロインに溺れるようになり、廃人同然となる。
やがて才能を惜しむ声も聞かれなくなっていき、世間は彼を忘れていった。
ティアーズ・イン・ヘブン
当時、女優ロリ・デル・サントは、ニューヨークのアパートの53階に住んでおり、
彼女と入籍していなかったクラプトンは、近くのホテルに滞在していた。
この頃、彼はだんだんと自分によく似てくる息子をとても可愛がって、
アパートに足を運び、息子のために薬もアルコールも控えようと努め始めていた。
その矢先だった。1991年3月20日午前11時。
4歳半だった息子コナーが、母親の自宅の階段を駆け上がっていったところ、
たまたまハウスキーパーが換気のため開いていた踊り場の窓から転落し、死亡したのだ。
この、あまりにも悲劇的な事態に、クラプトンは大変なショックを受け、自宅に引き篭もる。
世間は、彼が再びドラッグと酒の世界に舞い戻ってしまうのでのはないかと懸念した。
ところが皮肉にも、最愛の息子を失ったことでクラプトンは生まれ変わって蘇るのである。
引き籠もった彼は、悲しみのどん底で何を思ったのか・・
やがて彼は、数曲の歌を書き上げた。そのうちの1つが『ティアーズ・イン・ヘブン』。
この曲は、クラプトンが息子の死を乗り越えて、息子のために書いた曲だと言われる。
だが私は、そうは思わない。この曲は、クラプトンが息子の死を乗り越えるために、
自身の哀しみに向けて書いた曲だと思う。
その根拠は『 Tears in Heaven 』の tears の意味にある。
tears には「涙」という意味の他に、tear (悲しみ、引き裂かれる、もぎ取られる、
破れる、裂ける、等の意味)の複数形、つまり「果てしない tear 」という意味がある。
クラプトンは tears に、その両方の意味を込めたのではないか。
数あるVTRの中で、日本語字幕が本来の意味に近いと思われるものを選んだが、
tearsは「涙」と訳されている。そこに、もう一つの tears の意味を含めて聞くと、
彼が今の自分のままでは天国の息子に会うことができないという深い自責の念と、
生まれ変わりへの静かで深く強い決意が、しんしんと胸に響いてくる。
『 Tears in Heaven 』が本当はそういう曲だったことは、あまり知られていないと思う。
この曲を発表した同じ年、クラプトンは親友ジョージ・ハリスンを十数年ぶりに
ツアー活動に復帰させ、自分のバンドと共に音楽シーンに本格的に復帰した。
そしてこの曲は、1993年にグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、
最優秀ポップ男性歌手賞に選出された。
この後、彼は薬物・アルコール依存症患者の治療センターのディレクター&役員を務め、
1996年には映画「フェノミナン」にカバー曲『チェンジ・ザ・ワールド』を提供。
この曲はグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーを獲得する。
彼は、得た資金のほとんどすべてを投じて、自らカリブ海に薬物・アルコール依存症患者
の回復を助けるための更生施設『クロスロード・センター』を設立した。
そして施設を維持する基金を募るために『クロスロード・センター・フェスティバル』を、
2004年、2007年、2010年、2013年に開催。日本でも公演した。
さらに資金を捻出するために所有するギター104本をオークションに出品。その中には
『いとしのレイラ』をレコーディングした名器ストラトキャスター「ブラウニー」
も含まれていた。「ブラウニー」は1億520万円の値が付けられ、
当時「世界一値段の高いギター」となった。
写真はブログ『僕の好きなトリコロール・ブルー』のねこ猫パンダさん。
『いとしのレイラ』から『 Tears in Heaven 』『チェンジ・ザ・ワールド』
へと至る、クラプトンの思いを表す絵はこれだと思い、掲載させて頂いた。
『チェンジ・ザ・ワールド』は、ブログの8月4日記事で紹介されている。
クラプトンは、最愛の息子を失った絶望に打ち砕かれた魂で歌い、その曲が彼に、
自らを廃人に追い込んだ薬物からの更生施設を作らせ、『チェンジ・ザ・ワールド』が生まれた。
この「ワールド」は、生まれ変わったクラプトンと共にいる人たち、という意味だと思う。
チェンジ・ザ・ワールド(世界を変える)とは、自分が生まれ変わるということ。
『 Tears in Heaven 』。
壊れた魂から生まれた、何よりも固くて、何よりも透明な、涙の結晶。