明日は各地で平和を祈念する式典が行われ、終戦記念日の話題一色に染まることでしょう。
世界平和を願う思いは間違いなく尊く、平和は絶対に守られるべきものだと思います。
先日、私が敬愛し尊敬している、あるブロガーさんがブログに、こう書いていました。
戦勝国の単純な正義感。世界を支配しているのが、この単純な正義感なのだとしたら、
それに抗うために私たちは一体何を身に付ければいいのでしょうか。
この言葉に深い感銘を受けた私は、あえて明日の「終戦記念日」の前日に、
このテーマについて書いてみることにしました。
ISILに宣戦布告した政府が「終戦記念日」に声明する茶番
今年1月、安倍首相はエジプト・イスラエル・ヨルダン・パレスチナ自治政府を歴訪し、
850億円以上を支援しました。そのうちの200億円余りは、ISIL(イスラム国)への戦費です。
これに対しISILは、日本の宣戦布告と見なして声明を発表。
日本政府は即座に、「断固としてテロに屈しない」と応じました。
この日本政府の声明を、国際社会もISILも当然、日本のISILへの宣戦布告と見なし、
その結果、ISILは日本人2人を拉致して人質にし、殺害したことは記憶に新しいところです。
日本の報道機関は、安倍首相の中東歴訪とその目的について詳しく報道しませんでしたが、
BS/CS放送などで米CNNや英BBC、アルジャジーラの放送を見ている人や、
インターネットで世界各地の報道をチェックしている人たちは、
この経緯について良くご存知かと思います。
日本では、ISILによる人質殺害だけがクローズアップされた形ですが、
今年1月、日本は明らかにISILとの戦争状態に突入したのです。
事実、日本から受け取った戦費でイスラエルは海軍基地があるエイラートで船団を編成し、
アラビア湾(ペルシャ湾のアラブでの呼称)に向けて出港させる準備に入りました。
そこには米軍や諸外国の軍隊も合流する予定です。
一部報道では年内にもイラク上陸作戦および空爆作戦が決行されるのではないか、
とも言われています。
また、トルコ・ギリシャ・シリアの紛争は複雑化しており、難民が入り乱れていて、
ここを経由にISILは、バチカンへの攻撃を声明発表しています。
これに足並みを揃えるかのように、日本の政府・与党は6月13日、
「イラク復興支援特措法」を国会に上程、7月28日まで国会を延長し、同26日に、
テロ特措法の延長とセットで強引に成立させました。
「イラク特措法」は、これまでのPKO協力法、周辺事態法、テロ特措法と根本的に異なり、
自衛隊を米英軍占領下のイラクに派遣(つまり部隊を派兵)することが可能になるという、
危険極まりない法案です。
英・米・イスラエルが主導する「国際社会とやら」が自分たちの「単純な正義感」で、
戦争と武器によって世界平和を実現できると信じているのだとしたら、
そして日本政府がそれに同調するなら、私たちは一体何を身に付けるべきでしょうか。
さらに言えば、英・米・イスラエルおよび「国際社会とやら」を主導しているのは、
いったい誰なのか。
この状況で安倍首相は、涼しい顔をして明日の「終戦記念日」に、
日本と世界の平和を祈念する、白々しい声明を出すのでしょう。
多くの尊い命が失われ、真に日本と世界の平和を祈念するはずの「終戦記念日」が、
政府による茶番劇の場にされることに、私は憤りを禁じ得ません。
欧州と日本で異なる『アンネの日記』
『アンネの日記』は今も世界中で読まれていて、日本でも高い関心をもって読まれています。
オランダ・アムステルダムの「アンネ・フランクの家」(現在は博物館になっている)に訪れる観光客も
日本人がとても多いことで有名です。
ただ、現地オランダの人たちは、それをどう思って見ているでしょうか。
ヨーロッパの人たちにとってアンネ・フランクは、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った
「ホロコースト」および人種差別政策の恐ろしさのシンボルとして受け止められています。
しかし日本では、彼女は戦争被害者のシンボルとして受け止められていて、
日本人は自分たちと同じ戦争被害者としてアンネに共感しているのではないでしょうか。
しかし、ヨーロッパの人たちにとって日本は、ナチス・ドイツと同盟を結んで
枢軸国側として戦争を行った「加害国」なのです。
彼らにとって日本人は、ナチス・ドイツの同盟国としてアンネ・フランクとその家族を迫害し、
殺害した張本人なのであり、だから原爆を落とされて当然・・・
これが尊敬するブロガーさんが感じた「戦勝国の単純な正義感。世界を支配する正義感」だと思うのです。
自分自身のこと
私は左翼でも右翼でもなく、思想家でも宗教者でもありません。
むしろ、すべてのそうしたものから距離を置きたい者です。
私の祖父は海軍に在籍していましたが、戦争初期に瀬戸内海の孤島に引っ込みました。
そのお蔭で戦争に関わらないまま終戦を迎え、家族の誰一人も戦争で失いませんでした。
それが偶然なのか、戦争の行方を読んでの行動だったのか、私は知りません。
祖父は私が生まれる前に亡くなりました。
祖母は私に戦争のことを教えてくれました。
祖母が教えてくれたのは被害者としての日本ではなく、加害者としての日本でした。
祖父は逃げたのではなく、武器を持たず戦争と戦ったのだと私は思っています。
祖父がこの行動を取らなかったら、私は今、存在していないかもしれません。
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※おわりに
「正義感」・・・正しい人なんて、この世にたった一人でも、いるのでしょうか。
テロに対する正義、国際社会の正義、イスラムの正義、キリスト教の正義、日本の正義・・
そして、被害者の正義。加害者の正義。
私は、自分が正しい者などではないという自覚を、これからどんな時代になっても
失わないように自戒していたいと思います。
そして最後にもう一つ。
正義感の最も恐ろしいところは、人の正義感を利用して扇動する者たちに、
その正義感が利用されることだと思います。
正義の戦争などなく、正義の革命などないと、私は思います。
世界を支配しているのが、この単純な正義感なのだとしたら、
それに抗うために、私たちは一体何を身に付ければいいのでしょうか。
これが、尊敬するブロガーさんの、尊い問いかけに対する、私の答えです。