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祖母の日

 ※2021年5月7日更新

 

私にとっての母は、祖母。

10歳のとき、1年だけ祖母と共に暮らした。

この、たった1年が、その後の人生の支えとなった。

 

祖母のしつけは厳しく

何度も灸(やいと)を据えられて

背中にはいつもヤケドの跡が残っていた。

夏になると、海やプールで友達に揶揄された。

 

左利きを無理やり、右利きに矯正され

トレードマークだった八重歯は糸をからめて無理やり抜かれた。

 

学校で女の子のスカートをめくって泣かせたときは

はたきの柄で、手の甲を何度も叩かれてミミズ腫れになった。 

 

私に初めて本を与えたのも祖母だった。

少年少女文学全集と百科事典。

娯楽のない瀬戸内の島で

雨の休日は、本が宝物になった。

 

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1年が過ぎ、祖母のもとを離れた後も

「母の日」には祖母に贈り物をした。

カーネーションとか、裁縫道具とか

小銭で買えるものしか贈れなかったけれど。

 

祖父が海軍、父が海上自衛官だったが

祖母が私の進路について口にしたことはなかった。

そんな祖母が、私が商船高専に入学したとき

誰よりも喜び、祝ってくれた。

 

  

 

祖母は畑仕事をしながら、ずっと1人で暮らしていて

97歳で静かに息を引き取った。

祖母の友人がそれを発見し、東京で働いていた私に教えてくれた。

土間のパイプ椅子に座っていて、肩を叩いたら

そのまま崩れ落ちて、すでに息が無かったそうだ。

 

葬儀のため東京から駆けつけた私に

集まっていた人たちが、仏壇を指さした。

仏壇の棚には「葬儀費用」と書かれた祖母自筆の封筒と遺言書

そして私が祖母に送り続けた仕送りの封筒たちが

手を付けられないまま、供えられていた。

 

封筒の束の一番上に、こんなものが置かれていた。

 

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祖母と暮らしていたとき通った島の小学校で

授業に必要な道具を、ばあちゃんに「買って」と言うことができず

私のもう一人の母代わりになってくれた担任<兼>校長の女先生から

渡されてランドセルにしまっていたのを

ばあちゃんが見つけ出した「わすれもの」メモ。

 

瀬戸の小島の小さな小学校に当時コピー機なんてシャレたものはなく

昔ながらの古いガリ版刷りだ。

 

「おばあ、こんなもん、ず~っと大事に取っといたんやなぁ・・・

 1年しか一緒に住んどらんかったのになぁ・・

 

叔母の旦那さんが、そう言って、泣きだした。

その涙が引き金になって参列者たちが皆、泣いた。

 

  ◆◆

 

先日、ふと「わすれものメモ」のことを思い出し

探してみたら、古い手帳のポケットから出てきた。

 

「わすれものメモ」を読んで、笑った。

 

笑った後、おえつが込み上げてきて

押さえきれない涙が溢れてきて、止まらなかった。

 

・・・ばあちゃん・・

荒れそうになったこともあったけど

ばあちゃんに顔を合わせられないことだけはしないと

思いとどまったよ。

 

葬儀からしばらくたって 

ドン底に叩き落され

何もかも失って独りになったとき

ばあちゃんの顔が浮かんだよ

あきらめないで立ち向かうことができたのは

ばあちゃんのおかげだよ。

 

ばあちゃんがしてくれたこと

思い出そうなんて、しなくたって

忘れたこと、なかったよ。

 

ありがとう。 

ばあちゃん。

 

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05.06 isaku

 I ’m honored to be your grandson