私が20歳代だった、ある夏の話。
フリーの編集者として独立して間もなかった私は、カメラマンやデザイナーとチームを組んで仕事をすることが多かった。なかには、ライター&カメラマン&デザインすべてを自分一人でまかなう仕事もあって、 その中に「働く現場の女性たち」を取材して紹介する女性月刊誌の連載企画があった。
あるとき、東京の大手グラスメーカーに勤める女性たちを取材したときのお話。
取材対象は、グラスの製造現場で職人として働く20代の未婚女性3人。
いつもどおりに取材を進めていく中、彼女たちが突然こんな話をし始めた。
「私たち3人、仲良しグループなんですけど、グループ名があるんですよ。」
「なんていう、グループ名か、分かります?」
「私たちをよく見てください。ぜったい分かりますから、当ててみてくださいよ。」
私は3人の顔をマジマジと見渡した。キャンディーズや、わらべ(昭和の昔に欽ちゃんのTV番組に登場)を思い浮かべたが、目の前の3人と一致しない。どれだけ見つめてみても、特に思い浮かぶものはなかった。
3人はニコニコと笑みを浮かべて、私の答えを待っている。
答えが出そうもない私は、笑ってごまかしながら、間を持て余していた。
やがて焦れた3人は、声をそろえて、こう言った。
「せーの、 私たち! 3人そろって、
ダイ・ガン・レン
で~っす!! 」
・・ダ、ダイ、・・ガン、レン、ですか? ・・と私は問い返した。
すると、リーダー格らしい真ん中の女性が言った。
「大きな顔の連盟、と書いて、
大 顔 連 で~っす!」
(ここで3人、勝ち誇ったかのように満面の笑顔)
・・・ ・・・ ・・・
・・・
・・・
,, -──- 、._
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.:
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
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:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|:
もちろん、こんな風に指をさして笑えるはずもない。
私は、ふるえる口元を食いしばりながら、「フォローの言葉の引き出し」を猛スピードで引き出しまくった。そして、とっさに腕時計を見て言った。
「あ、もうこんな時間! 撮影しますねっ、撮影っ!」
カメラで、笑けた顔を隠すためだ。カメラを眼前に構え、顔を隠し、私はゆっくりとファインダーを覗き込んだ。
ファインダーの向こう側に並んで座っている3人の姿に、腹筋が小刻みに震えて止まらない。やがて私の腹筋は、大きく波打ち始めた。
実はこの取材の数日前、旅行雑誌の取材で仙台に行ったばかりだった。ファインダー越しの3人が並んでいる姿が、仙台で見たアレに似ているのだ・・・
(写真は本文とは何の関係もありません)
「仙台こけし」。思い浮かんでしまったコレがツボにはまってしまい、腹筋の震えが止まらない。どうしたらいいんだ・・・
こけしよ、どこかへ飛んでいってくれっ!!
・・・そうだ! 名案が浮かんだ。
このグラスメーカー社の社長の顔を思い浮かべた(この社長は出版社のクライアントの中でも大広告主であり、大株主だ)。
一瞬にしてこけしは飛び去り、、笑いと震えが止まった。
こうして無事に取材を終えた私は、帰りの電車に乗り込むと、ドッと疲れて眠り込んだ。
❆
後日、雑誌が刷り上がり、手元に届いた。
大顔連の記事を読んで、あの日のことを思い出し、笑いが込み上げてきた。
そこにグラスメーカー社の総務部厚生課長から、電話がかかってきた。
「さっき雑誌が届いて、読ませてもらったよ。今回の記事、良かったね~」
いつものように楽しく挨拶話を交わし終えた後、
「ところで、話は変わるんだけども・・」と課長は言った。
「〇〇さん(大顔連のリーダー格)、覚えているかね?
彼女が君のこと気に入ったみたいでね~。
どうかね。彼女と見合い、
してみる気は、ないかね?」
一瞬にして、笑顔は引きつって固まった。
私は「すり抜け言葉の引き出し」を猛スピードで引き出しまくった。そして次の瞬間、私に婚約者ができた。大顔連の彼女ではない。エアー婚約者だ。
それからというもの、課長や仕事仲間に、エアー婚約者との作り話をどれだけ創作し、披露したことだろう。当時の私は相手が誰であれ結婚するつもりはなかったし、会社同士のつながりによる政略結婚のようなシガラミは避けたかった。
数年後、『NOと言える日本』(石原慎太郎・盛田昭夫共著)が大ヒットした。私も仕事でNOと言える立場になっていた。私に本物の婚約者ができたのは、その年の暮だった。
❆
あれから数十年。あの本のインパクトは大きく、その後の日本にはNOと言える人たちが増えたように思う。
そういえば最近、石原慎太郎氏が再び注目されている。どうも彼は、都議会にNOと言えなかったようだ。あの本はいったい何だったのか。
本の中身はどうあれ、あの本のタイトルのインパクトは強く、当時生まれた若い人たちは、いとも簡単にNOと言うことができる、すごい人たちだ。
彼らは今日も、残業を命じる私に、こう言った。
今日も私は独り、残業している。
まったく、笑えない話だ。
でも「NOと言える若者たち」に、私は密かに拍手を贈りたい気持ちなのだ。