手書きチラシ・2色チラシで集客万来

2色チラシと手書きチラシで集客

桃の節句ωシャングリラ

 

3月3日は『桃の節句。女子の健やかな成長を願う日ですね。

起源はよく分かっていないそうですが、アジアの諸民族が同様の祭をするそうです。  

各民族に共通しているのは「桃」を神聖な食べ物とし、歌い踊り、野遊びをし、

甘いものを食べ、甘い飲み物を飲み、女子の健やかな成長を願うこと。

その情景は桃源郷シャングリラ)」の様子を表しているとも言われます。

そういえば『西遊記』の孫悟空天界の桃を食べて不老不死になりましたよね。

 

 リー族(中国南部)の女性            チワン族(中国・ヴェトナム)の女性

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 トゥチャ族・ミャオ族・ペー族の女性      花モン族(ヴェトナム)の女性

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日本でも『古事記』『日本書紀』に、不思議なの話が出てきます。

伊弉諾尊イザナギノミコト)黄泉醜女(ヨモツシコメ)の黄泉軍に追いかけられた際、

桃の実を投げつけて難を逃れたという話。 

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シャングリラの桃には、邪気をはらい、女子を養命する力があるとされているんですね。

 

シャングリラを再現した孔雀の妖精

 

民族に伝わる歌謡や舞踊で桃源郷を再現した舞台が今、世界中で絶賛されています。

中国の国宝級ダンサー、ヤン・リーピンによる舞台『シャングリラ』

 

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民族から選りすぐられた名手たちによる歌謡・舞踊はどれも素晴らしいですが、

なかでもヤン・リーピンのソロ舞踊「孔雀の舞」は、別格の美しさです。

この世のものとは思えない、まさに桃源郷孔雀を思わせる彼女の舞。

この舞のゆえに、彼女は「孔雀の妖精」とも呼ばれています。一見の価値あり。

 

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 ★Please receive bluesky, a peach of the Shangri-la

 

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女の子をお育てのお父さん、間違ってもお嬢さんに、

「桃の節句はいつかって? 当然、今日(とうげんきょう)!」

などと言って、アキレられませんように(^^;)

  

 

蛇足ですが、3月3日から冷やし中華を始めるお店が少なくないんですって。

日本記念日協会に登録されている「冷やし中華の日」は7月7日)

  

   

愛の告白

 

温かいブコメでご心配くださった皆さま、本当にありがとうございました。

嬉しくて、有り難くて、皆さまの温かさに、何と御礼申し上げて良いか分かりません。

 

私より遥かに大変な状況の中、がんばっておられる方たちまでもが、お声かけくださり、頭が下がる思いでいっぱいです。

 

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1月下旬から体調がおもわしくなく、28日は朝から両鼻からの鼻血が止まらず、夕方になって病院に駆けつけました。血液検査の結果、白血球の数値が上がり、血小板の数値が下がっていました。

精密検査で分かった原因は、肩関節のズレと肩甲骨の歪みで神経と血管が圧迫されていて、血流が不安定になり、腎臓の機能が低下。放っておくと心臓に負担がかかるとのことで、そうなる前で良かったです。

 

数年前に左肩を脱臼したのですが、自力で元に戻した後、整形外科に行き、「問題なし」との診断でした。しばらくして肩と背中の違和感が改善されないので、再び整形外科に行き、レントゲン写真も撮ったのですが、回答は再び「問題なし」。

 

ところが、肩関節はその時からズレたままだったのです。骨と骨がズレたまま癒着しているため、それを徐々に引き離し、元の位置に戻すことで、肩甲骨を元の位置に戻して固定させるリハビリをしています。

 

本人はもう、いたって元気なのですが、会社の棚卸&決算が重なり、しっちゃかめっちゃかです(笑)。当面は、のんびりペースでのブログ再開となりますが、これからまた、どうぞよろしくお願いいたします。

 

で、でもね、通院しているおかげで、いいこともあったんですよ!

バレンタインデーに、女性に告白されたんです! 

 

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吉野家で、牛すき鍋膳の<大>を注文したんですけどね。

 

・・・す、すいません。。笑いごとじゃなかったですよね(^^;)

 

でも元気が欲しい時には、ぜひ、これを注文してみてください! 元気でます!

 

最後に、告白します。

本当に嬉しかったです! ありがとうございます <m(__)m>

 

 

 

 

  

チラシの耳★ミセナイナミダ

 

少し体調を崩しておりまして、読者の皆様のブログを見ることもできておらず、申し訳ありません。

回復しましたら、また元気にブログに訪問させて頂きますので、どうぞご理解の程お願いいたします。

 

今日は私信ですので、☆もブクマもスルーで構いません。 

 

大好きなブロ友さんへ。

 

         きっと必ず乗り越えて、

         また必ず、ここで会いましょう。

         たくさんの勇気をありがとう。

         たくさんの・・・  

   

 

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              必ず。

 

            虹の向こうへ

  

 

 

11歳の女の子の Inside Out

 

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今日の記事はネタバレ注意で~す。

昨年、日本でも公開されたディズニーピクサー映画『インサイド・ヘッド』。

主人公は、11歳のライリーっていう女の子の「5つの感情」なんです。

 

<ストーリー>

ミネソタの田舎町で明るく幸せに育った少女ライリーは、都会のサンフランシスコに引っ越してきます。新しい生活に慣れようとするライリーを幸せにしようと、彼女の中の司令部では「ヨココビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」の5つの感情が奮闘していました。ところが、ある時、雷がライリーの大切な思い出を悲しい思い出に変えてしまいます。慌てて思い出を元通りにしようとしたヨロコビでしたが、誤ってカナシミと一緒に司令部の外に放り出されてしまいます。ヨロコビは急いで司令部に戻ろうと、ライリーの中を駆け巡るのですが・・・

  

11歳のライリーちゃん、けなげなんですよ。新しい生活が始まり、お父さんも新しい町で仕事をしようとしてて、お母さんも新しい生活に馴染もうとします。だから「私がグズったりしてちゃいけないわ」ってことで、一生懸命に心の中のヨロコビをフルに動かそうとするんですね。

このヨロコビちゃんは女の子で、黄色いひまわり色。基本的にチアリーダーで、いつも「元気で行こう!」って言ってるんですよ。

 

でも、カナシミちゃんっていうブルーは、いつも暗くてネガティブなことばかり言ってるんですよ。「こんな町、嫌だわ」とか「友達なんかできないわ」とか。

 

イカっていうのは、なぜか中年のサラリーマンで(笑)。怒ってばっかり。

ムカムカちゃんはグリーンで、緑は英語では嫉妬の色なんですね。「嫌だわ」とか、不快の感情。人をうらやんだり。 

最後の1人はビビリ。恐怖心なんですね。 

この5人がライリーちゃんの感情をコントロールしながら動かしているという設定。

 

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さて、ライリーちゃん、頑張るんだけど、新生活の出だしでつまづいちゃうんですね。

で、それを何とか解決するためにヨロコビちゃんが大冒険するっていうお話なんです。

  

これ、実話を元にして作られたアニメだそうです。

映画監督が実際に映画会社ピクサーに入社する時に、11歳の娘さんを連れて引っ越してきたのですが、転校した時に溶け込み損なっちゃって。

困った監督は、脳と感情の問題をいろいろ勉強して。で、これをアニメにした方がいいんじゃないか?ってことで、精神医学者とか脳科学者たちのアドバイスを受けながら作ったんですって。 

 

 

この映画の凄いところは、観てると感情の構造が分かるようになってるんです。

ただ、11歳の女の子とお母さんがこの映画を観たら、お子さんは「この映画って何が何だか全然、わからない!」って言うかも。感情の構造とかって考えたことないでしょうからね。「潜在意識」とか、専門用語も出てきますし。

だから始まる前にお母さんが、主人公の5人は「人の5つ感情(気持ち)」なんだってことを説明して、映画が終わった後にも説明してあげるといいと思います。 

 

 

あと、人格って一つじゃないんだってのも観せてくれます。人格って、会う人とか場所によって変わりますよね。その場所や相手にふさわしく、とかって。

たとえば「ひょうきん」の人格とか出て来るんですが、常に「ひょうきん」だけだったら変な人でしょう? 真面目な人格もあるし、友だちと懇意に話す人格も。そんな人格が「島」という姿で登場します。で、その島、知識とか体験というものを積んでいかないと、みすぼらしいものになっていくんですね。

トラウマなんてのも出てきて、ライリーちゃんもその寸前まで行っちゃたり。

 

       ◆       ◆       ◆

 

なかでも感動したのが、人格形成の中で「悲しみ」が出てくるのですが、心に受けた傷っていうものは、涙でしか治せないものがあるという話。泣きたい時に泣かないと、やっぱりおかしくなっていくんですね。無理に、頑張れ!とか、元気出せ!とかやっても、おかしくなっていっちゃう。

カナシミという感情は、心の傷を治すためにあるんだよ、って描いているんですね。

そして大事なのは、悲しみを克服しようとして、何かの工夫をすることだって。そのためにはイカもある程度は必要だと。「負けちゃいけない」って気持ちがないと、状況を改善する力がなくなっちゃうから。

 

そして、カナシミが必要なもう一つの理由として、困っている人とか悩んでいる人、苦しんでいる人、辛い人に対して、悲しみの気持ちがないと、その悲しみが分からない。共感できない。だから傲慢な人間になっちゃって「頑張れよ!お前もできるだろ!」なんて言っちゃったり。

そうじゃなくて、悲しんでいる人にはただ、その人の肩を抱いて、一緒に泣いてあげることの方が大事だと教えます。

 悲しんでいる人がいたら、それを自分のことのように悲しむことができるから、差別をなくそうとか、戦争をなくそうとか、貧しさをなくそうっていう気持ちになる。

もう、このあたりは見てて涙ボロボロになっちゃいます・・ 

 

 

邦題ではわからない原題の真のメッセージ

 

邦題の「インサイド・ヘッド」は、頭(ヘッド)の内側(インサイド)という意味なのですが、英語ではふつう「inside head」という表現はしません。「inside of the head」とかになると思います。だから和製英語だと思うのです。

原題の「Inside Out」は、まったく意味が異なるんですね。「ひっくり返し」「裏返し」「表裏」っていう意味です。それに邦題のヘッド(頭)のインサイド(内側)だと表層的で薄っぺらさを感じますが、決してそんな映画ではありません。作品も「裏返し」「裏表」が重要なテーマになってるんです。

 

つは、ライリーちゃんの裏表。

 

つ目は、感情の裏表。物語がすすむにつれて、喜びと悲しみは表裏一体とかいうことに気付かせてくれます。

 

つ目は、とても哲学的な命題で、「主体は誰なのか」という問題についての裏表。ヨロコビカナシミって、時に意に反した裏表な行動をとること、ありませんか? どうして感情はそういう行動をとってしまうのか。それは感情が人を動かしている主体なのではなく、主体が別のところにあるからではないのか。

そう。この映画、5つの感情が主体だと思わせておいて、結局のところ、実は主体はライリーの側にあるという、ひっくり返しなんですね。ライリーの理性と感情。これもまた表裏一体。常にinside outし続けているものとして存在していると。

 

邦題に惑わされず、原題の意味でこの映画を観ると、作品のメッセージがもっと深く読み取れるように思います。

 

 

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 【PS】  

  今日は、昨年大変お世話になったブロ友さんのお嬢様の、

  ちょうど11回目のお誕生日なんです。  

 

  その方と、そしてお子さまを育てておられる、すべてのママたちへ   

    

   Happy 11th Birthday Girl!      

    

                  

☆*゚ Hope your BIG BRIGHT STAR keeps on shining.    HAPPY BIRTHDAY♪ ゚*。☆

  

                1.19

 

  

 

Un jour de Paris

 

 

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テロの記憶も新しい、パリ。

パリ市民は今も恐怖に脅えながら毎日を過ごしていると思います。

同時に、イスラム教徒や移民の方たちもまた恐怖に脅えながら生活しているはずです。

 

先日、一人の男性がパリの広場で勇気あるメッセージを訴える姿が、

youtubeにアップされていました。ご存知の方も多いかも知れません。

 

もし、私たちがパリの街中で、マスク姿のイスラム教徒の男が立っているのを見たら、私たちはどう感じるでしょうか。時期が時期だけに、反射的に恐怖を感じてしまうのではないでしょうか。

 

もしかしたら彼を見つけたパリの人たちは、彼を取り囲んで暴力行為に及ぶ・・そんな可能性も、ないとは言えません。

 

しかし彼は、おそらくそれを承知の上で、パリ市民にこう訴えたのです。

 

「私はイスラム教徒です。でも、テロリストではありません。私はあなたを信じます。もしあなたも私を信じてくれるなら、ハグをしてくれませんか」

 

彼がダンボール紙に書いたメッセージを見て、人々が歩み寄ります。

その中にはイスラム教徒の女性もいて、彼のメッセージを見て涙を流しています。

女性の涙は、テロリストとはまったく無関係のイスラム教徒たちが

街でどれほど心ない扱いを受けて心を痛めているかを伺わせます。

 

やがて彼の周りに集まった人々の中から、一人が彼に歩み寄ってハグします。

 

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それを機に、一人、また一人と、パリ市民たちが彼にハグします。涙ながらに。

 

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そして彼は言います。

 

「みなさん、本当に有難う。私にハグしてくれて有難う」

 

 彼は、さらに訴えかけます。 

「私は、人を殺したことは一度もありません。イスラム教徒すべてがテロリストではないんです。イスラムの神は人を傷つけることを教えてはいません」

 

集まった人々が、彼の話に耳を傾けます。彼はさらに続けます。 

 

「テロが起こった金曜日は私の誕生日でした。でも私と家族はテロで犠牲になった人のことを想い、外出しなかったのです。亡くなった人たちのことを祈りました。皆さん、イスラム教徒全員がテロリストではないんです。テロリストはテロリストです。私たちとはまったく違う、別のものなんです」    

 

    この様子はyoutubeで275万回も再生され、賛同と感動のコメントが

    数多く寄せられています。それでも、これだけ訴えても、まだ中には、

     

    「お前らは国へ帰れ! ヨーロッパから、とっとと出ていけ!」

 

    「だからって、私たちがイスラム教徒を好きなわけじゃない」

 

    など、心無いコメントも散見されます。

 

    

 

もし、これが日本だったらどうでしょう。私たちは彼をハグできるでしょうか。

彼は爆弾を体に忍ばせているかも知れないし、ナイフを持っているかも知れません。

彼の「言葉」を信じられるでしょうか。 

それを思うと、このイスラム教徒の男性もさることながら、彼にハグした人々に敬意を表します。

 

彼はまた、ISILに「ジハード(聖戦)」を口にする資格がないことも証明して見せたと思います。ジハードそのものについての論議はさておき、もしそれを口にするのなら、彼のやり方こそ真のジハードというべきでしょう。

 

ユダヤ教キリスト教イスラム教の共通の聖典である旧約聖書では、血は「いのち」であって、人の血を流す者は「汚れた者」であり、聖なる場所に足を踏み入れることができません。「血」と「聖」は相入れないものなのです。人の血を流す者に「聖」の字ほど相応しくないものはありません。

 

 

 ~   ~   ~   ~   ~   ~   ~

 

 

日本は、もしかしたらパリよりも、もっと宗教差別があるかもしれません。

もちろん言葉を安易に信じることは危険です。 

ただ人は、人を信じようとしないならば、信頼関係を築くことも、

愛し合うことも、生きることさえできないことも、また事実だと思うのです。

 

全世界的にメディアが対立と不信を煽っている状況に、私は違和感を禁じ得ません。

彼の行動は、国と国、人と人との対立を煽る政治家やメディアに一石を投じています。

 

対立と不信を煽る「何ものか」にあらがって、人を信じることの大切さ、愛し合うことの大切さを、再認識させてくれた彼に、宗教の壁を無視して心からの敬意を表します。

  

 

       パリの街と、パリに住む人々に平安を。 

 

       皆さんが住む町と、隣人にも平安を

 

    

 

    

     

 

チラシの耳 ★ 泪。

       

   「という字は、に流して元にると書く。

    くという字は、に流してちあがると書く。」

 

   今日、そんな話を、聞きました。 

 

   だけど。

 

   流しても流しても、止まらないのです。

   泣いても泣いても、溢れてくるのです。

 

 

   これは、

 

 

   泪という字は、目から水が流れ続けているのです。

   流れても流れても、止まらないのです。

    

   泣いても泣いても、かぎりがないのは

   あなたがくれた優しさに、かぎりがないからです。

 

   だから    

   哀しくて、涙が止まらないのではないのです。

   あなたの優しさにかぎりがないから、泪が止まらないのです。    

  

   

   あの朝、泣いた私に、笑った、あなた。

   

   でも本当は、旅立つあなたの方が、きっとどんなにか、泣いたはず。

 

   悔しくて、哀しくて、寂しくて、きっとどんなにか、泣いたはず。

 

   だから、泣いても、泣いても、枯れないあなたの優しさを

 

   朝には目にしまって、笑います。

 

   あの朝、あなたが、笑ったように

 

   泪をしまって、笑います。

 

 

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   ※今回はコメント欄を閉じさせて頂きました。

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