『8月の歌』 Hard Rainが子供らの肩を打つ
私が通った商船高専の物理の教授は、戦艦大和の設計者の一人で、カミカゼ特攻隊や人間魚雷「回天(かいてん)」の悲劇について話を聞き、『きけ、わだつみのこえ』を読んだ。戦地で殺した敵兵が今も夢に出てきて、眠れないという教授もいた。
英語の教授は第2次大戦を体験したアメリカ人で、「カミカゼ」や「カイテン」はアメリカにとって「テロ」と同等に捉えられていると知った。
戦争被害は原爆だけではないし、日本だけでもない。日本は日清・日露・第1次(あまり知られていないが日本も参戦し中国の青島や南洋諸島を攻略した)・第2次大戦と、消すことのできない加害の傷跡を世界のあちこちに数多く遺した。
社会人になって東京で働いていたある日、私より年上のヒロシマ生まれの浜田省吾さんが発表した2枚組アルバム『J.BOY』を聴いて、その中に収められた1曲に心を揺さぶられた。
その曲の名は『8月の歌』。歌詞の概要はこうだ。
修理車を工場へ運んでいる途中、俺が見たのは
砂浜で戯れている 焼けた肌の女の子たち。
この国は豊かだというけれど、俺の暮らしは何も変わらない。
何一つ誇りを持てないまま意味もなく年老いて、
報われず、裏切られ・・・ ・・・
8月になるとヒロシマの名のもとに平和を唱えるこの国
アジアに何を償ってきた?
俺たちが組み立てた車が
アジアのどこかの街角で焼かれるニュースを見た。
雨が子供らの肩を打つ。飢えていく。すさんでいく。
明日への希望など持てないまま・・・ ・・・
浜田省吾さんの父は警察官だった。ヒロシマ原爆投下直後に、救援隊の一員としてヒロシマ入りして2次被ばくしている。1952年生まれの浜田省吾さんは被ばく2世だ。それゆえ人一倍、ヒロシマには特別な思いがあるという。 浜田省吾さん本人は『8月の歌』を作った背景について、こう語っている。
「8月6日の原爆記念日が来るたびに広島が騒がしくなってデモが起き、いつも被害者の立場から戦争を語るということへの疑問みたいなものについて歌いたくて、“8月の歌”を作った。」
また別の場面では、こうも語っている。
「日本という国は終戦からずっと8月6日に必ず被害者の立場で戦争を語るが、前の戦争で朝鮮半島・中国大陸・東南アジアに対して本当に酷いことをしてきたにもかかわらず、常に被害者の立場で語ることに、広島出身でありながらも違和感を感じる。」
戦後、この国は豊かさを求めてきた。
世界では、あの戦争の後もずっと戦争が続いている中、
本当に平和になったのだろうか。
私たちは豊かになったのだろうか。
今日もHard Rain is Fallin'
心にHard Rain is Fallin'
雨が子供らの肩を打つ。
飢えてゆく。すさんでゆく。
明日への希望など持てないまま・・・
満たされぬ想い から回りの怒り
8月の朝はひどく悲しすぎる
No Winner No Loser ゴール無き闘いに
疲れて、あきらめて、やがて痛みも麻痺して
狂気が発火する。
一聴すると絶望的にも聴こえるこの歌詞は、
しかし、移り変わる時代の中で決して見失ってはならないものを、
力強く教えているように思う。
勝者もなく敗者もない、 ゴール無き闘い。
経済成長=平和なのか。それとも経済成長=戦争なのか。
Hard Rainは原爆の黒い雨ばかりではない。
今日も、いつの日も、
子供らの肩に、 Hard Rainを打たせてはならない、と思う。
~~~~~
この国では「どんなに傷ついたかわからないのか!」という叫び声にみんな平伏してしまうという構図が見られますが、それはおかしい。すべての人が「他人の痛みがわからない人」を悪魔のように責めたて、そうワメキ散らす人のより一層の暴力を指摘しようとしないのです・・・中島義道(哲学者・作家)
『What's Going On』いったい何が起こってるんだ?
1971年、ベトナム戦争のさなかにマービン・ゲイがモータウンレコードから発表したアルバム『What's Going On(ホワッツ・ゴーイング・オン)』は、アメリカ社会に大きな衝撃を与えた。
それから半年余り遅れてジョン・レノンが『イマジン』を発表。レノン&ヨーコが『ハッピー・クリスマス』を発表して、反戦を訴えた。そして、ベトナム反戦の波は全米を覆っていった。
マービン・ゲイは厳格な牧師の息子として生まれた。彼が音楽に没頭するきっかけとなったのは、父親の常軌を逸した躾(しつけ)と精神的虐待であったと言われる。
マービンはベトナム戦争に派遣された弟からの手紙で、想像を絶する悲惨な実態を知る。そして復員してきた弟と再会し、ベトナム戦争のさなかにアルバムの楽曲を書き上げた。
そのアルバム『What's Going On』は完成度の高い華麗な楽曲でまとめ上げられた名作だが、容易に世に出たのではなかった。国を挙げての戦争のさなかに、黒人が当局に物申すような楽曲を発表することは、当時としては在り得ないことで、タブー中のタブーだった。レコード会社は当然、このアルバムの制作に反対した。そのため、このアルバムはマービン自身がセルフプロデュースで制作したのである。
アメリカ政府によるベトナム戦争、アメリカ企業による公害、アメリカ社会の極端な貧富の差と、それに対する苦悩を赤裸々に熱唱したこのアルバムは、全米No.2の大ヒットを記録した(ジョン・レノンのイマジンは全米No.3)。
自分が感じたことを誰にも干渉されずに、ありのままに作品にまとめ上げて発表したマービンの勇気ある姿勢は、同世代のアーティストたちに多大な影響を与え、その影響はアメリカ全土ばかりか世界中に広がり、マービンに続くアーティストが次々に自らの思いをありのままに書いた曲を発表するようになった。その影響は現代のミュージシャンにまで脈々と受け継がれている。
マービン自身は私生活では波乱万丈の人生を送り、1984年4月1日、自宅で父親と口論になり、逆上した父親がマービンに発砲して、彼はそのまま帰らぬ人となった。奇しくもその日は、彼の45回目の誕生日の前日であった。父親が発砲した銃は、父親がマービンにプレゼントしたものだった。
アルバムのタイトルにもなった『What's Going On』。直訳すると「何が起こってるんだ?」といった意味だが、邦題は『愛のゆくえ』。邦題と美しいメロディーからは、この曲の内容は想像もつかないと思う。
ジョン・レノンの『イマジン』は反体制の歌詞ゆえに放送禁止になったが、マービンのこの曲は放送禁止になっていない。どこにもはっきりとした反体制のフレーズや宗教・思想が出てこないからだ。そうしたフレーズ抜きで、聴く人の想像力・魂(ソウル)に訴えかけることで、世に出ることができたのである。
完璧なまでに美し過ぎるメロディーに乗せた、静かだが力強い魂の叫び声。単に反戦を歌ったのではなく、家族愛と人間愛がその根底に流れている。できれば映像も見てほしい。This is music! これぞ音楽。
(私訳)
ああ・・母さん・・母さん・・
たくさんの母親たちが泣いているんだよ・・
なあ弟よ・・
たくさんの数えきれない兄や弟たちが死んでいる・・
おまえも分かってるはずさ、
僕らは解決の道を見出さなきゃならない。
愛する人たちを今日、ここに連れ戻すために。
ねえ、父さん。
もうたくさんだろ? エスカレートしちゃいけない。
分かってるはずだ、戦争は答えじゃないって。
憎しみに打ち克てるのは愛だけなんだから。
そうだ、探さなきゃいけない。
今日ここに愛をもたらす方法を。
デモ隊の列、掲げられたスローガン
暴力で僕を押さえつけようとしないでくれ
こっちにきて話してくれよ、
何かが分かるかも知れない。
いったい何が起こってるんだ?
世界はどうなってしまったんだ?
ねえ、何が起こってるんだ?
ああ、いったい何が起こってしまってるんだ・・・
ねえ、教えてよ、いったいどうなっているのかを。
僕からも話すよ、何が起こってしまったのかを・・
僕らは互いに分かり合う方法を探さなきゃならない。
まともなことをしなきゃ。
まともなことを。
まともなことをしようよ。
なあ、そうだろう?
いったい何が起こってるんだ?
世界はどうなってしまったんだ?
ねえ、何が起こってるんだ?
ああ、いったい何が起こってしまってるんだ・・・
◆ ◆ ◆
そして、米大統領と日本の首相が「世界平和」を語った。
「2度と悲惨な経験を繰り返させてはならない」と。
同じ口で、この2人はISILを断固として許さないと語り、
惜しみなく武器を供与すると約束したばかりだ。
満たされぬ想い から回りの怒り
8月の朝はひどく悲しすぎる
No Winner No Loser ゴール無き闘いに
疲れて、あきらめて、やがて痛みも麻痺して
狂気が発火する。
What's Going On・・・