手書きチラシ・2色チラシで集客万来

2色チラシと手書きチラシで集客

Un jour de Paris

 

 

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テロの記憶も新しい、パリ。

パリ市民は今も恐怖に脅えながら毎日を過ごしていると思います。

同時に、イスラム教徒や移民の方たちもまた恐怖に脅えながら生活しているはずです。

 

先日、一人の男性がパリの広場で勇気あるメッセージを訴える姿が、

youtubeにアップされていました。ご存知の方も多いかも知れません。

 

もし、私たちがパリの街中で、マスク姿のイスラム教徒の男が立っているのを見たら、私たちはどう感じるでしょうか。時期が時期だけに、反射的に恐怖を感じてしまうのではないでしょうか。

 

もしかしたら彼を見つけたパリの人たちは、彼を取り囲んで暴力行為に及ぶ・・そんな可能性も、ないとは言えません。

 

しかし彼は、おそらくそれを承知の上で、パリ市民にこう訴えたのです。

 

「私はイスラム教徒です。でも、テロリストではありません。私はあなたを信じます。もしあなたも私を信じてくれるなら、ハグをしてくれませんか」

 

彼がダンボール紙に書いたメッセージを見て、人々が歩み寄ります。

その中にはイスラム教徒の女性もいて、彼のメッセージを見て涙を流しています。

女性の涙は、テロリストとはまったく無関係のイスラム教徒たちが

街でどれほど心ない扱いを受けて心を痛めているかを伺わせます。

 

やがて彼の周りに集まった人々の中から、一人が彼に歩み寄ってハグします。

 

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それを機に、一人、また一人と、パリ市民たちが彼にハグします。涙ながらに。

 

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そして彼は言います。

 

「みなさん、本当に有難う。私にハグしてくれて有難う」

 

 彼は、さらに訴えかけます。 

「私は、人を殺したことは一度もありません。イスラム教徒すべてがテロリストではないんです。イスラムの神は人を傷つけることを教えてはいません」

 

集まった人々が、彼の話に耳を傾けます。彼はさらに続けます。 

 

「テロが起こった金曜日は私の誕生日でした。でも私と家族はテロで犠牲になった人のことを想い、外出しなかったのです。亡くなった人たちのことを祈りました。皆さん、イスラム教徒全員がテロリストではないんです。テロリストはテロリストです。私たちとはまったく違う、別のものなんです」    

 

    この様子はyoutubeで275万回も再生され、賛同と感動のコメントが

    数多く寄せられています。それでも、これだけ訴えても、まだ中には、

     

    「お前らは国へ帰れ! ヨーロッパから、とっとと出ていけ!」

 

    「だからって、私たちがイスラム教徒を好きなわけじゃない」

 

    など、心無いコメントも散見されます。

 

    

 

もし、これが日本だったらどうでしょう。私たちは彼をハグできるでしょうか。

彼は爆弾を体に忍ばせているかも知れないし、ナイフを持っているかも知れません。

彼の「言葉」を信じられるでしょうか。 

それを思うと、このイスラム教徒の男性もさることながら、彼にハグした人々に敬意を表します。

 

彼はまた、ISILに「ジハード(聖戦)」を口にする資格がないことも証明して見せたと思います。ジハードそのものについての論議はさておき、もしそれを口にするのなら、彼のやり方こそ真のジハードというべきでしょう。

 

ユダヤ教キリスト教イスラム教の共通の聖典である旧約聖書では、血は「いのち」であって、人の血を流す者は「汚れた者」であり、聖なる場所に足を踏み入れることができません。「血」と「聖」は相入れないものなのです。人の血を流す者に「聖」の字ほど相応しくないものはありません。

 

 

 ~   ~   ~   ~   ~   ~   ~

 

 

日本は、もしかしたらパリよりも、もっと宗教差別があるかもしれません。

もちろん言葉を安易に信じることは危険です。 

ただ人は、人を信じようとしないならば、信頼関係を築くことも、

愛し合うことも、生きることさえできないことも、また事実だと思うのです。

 

全世界的にメディアが対立と不信を煽っている状況に、私は違和感を禁じ得ません。

彼の行動は、国と国、人と人との対立を煽る政治家やメディアに一石を投じています。

 

対立と不信を煽る「何ものか」にあらがって、人を信じることの大切さ、愛し合うことの大切さを、再認識させてくれた彼に、宗教の壁を無視して心からの敬意を表します。

  

 

       パリの街と、パリに住む人々に平安を。 

 

       皆さんが住む町と、隣人にも平安を

 

    

 

    

     

 

チラシの耳 ★ 泪。

       

   「という字は、に流して元にると書く。

    くという字は、に流してちあがると書く。」

 

   今日、そんな話を、聞きました。 

 

   だけど。

 

   流しても流しても、止まらないのです。

   泣いても泣いても、溢れてくるのです。

 

 

   これは、

 

 

   泪という字は、目から水が流れ続けているのです。

   流れても流れても、止まらないのです。

    

   泣いても泣いても、かぎりがないのは

   あなたがくれた優しさに、かぎりがないからです。

 

   だから    

   哀しくて、涙が止まらないのではないのです。

   あなたの優しさにかぎりがないから、泪が止まらないのです。    

  

   

   あの朝、泣いた私に、笑った、あなた。

   

   でも本当は、旅立つあなたの方が、きっとどんなにか、泣いたはず。

 

   悔しくて、哀しくて、寂しくて、きっとどんなにか、泣いたはず。

 

   だから、泣いても、泣いても、枯れないあなたの優しさを

 

   朝には目にしまって、笑います。

 

   あの朝、あなたが、笑ったように

 

   泪をしまって、笑います。

 

 

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   ※今回はコメント欄を閉じさせて頂きました。

 ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~

     

地元愛、炸裂!

 

私は大阪生まれ、愛媛育ちで、高校は愛媛と広島の県境にある小さな島での寮生活。

尾道や福山が遊び場で、その後、東京で仕事をしました。弟は鹿児島育ち。

 

仕事柄、各地を取材して飛び回っていたため、色んな方言を覚えました。

方言って、いいですよね。なんだか温か味があって。

 

アナと雪の女王」にも、日本各地の方言バージョンがあるんですね。

ご当地の方言バージョンを youtube で見つけて、宴会芸にしたらウケルかも(笑) 

 

でね。今、広告業界で全国各地の 地元PRコマーシャル が盛り上がってるんですよ。

これが、もう、すごくって。

 

 

 大分の地元PRコマーシャルが、すごい!!

 

 

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大分県でTV放送されているCMで、youtubeでは100万PV超えという

驚異の数字を叩き出している、地元PRコマーシャル。企画したのは大分県

 

テーマはなんと「温泉でシンクロナイズドスイミング」。

 

シンクロナイズドスイミングって、水深3m以上は必要らしいのですが、

温泉の浴槽は、深さわずか50~100cm。しかも40度を超えるお湯。 

温泉で、シンクロナイズドスイミングなんて、できるんでしょうか?

 

ところが、それをやってのけた人たちがいるんですね~。

シンクロのオリンピックメダリスト・藤井来夏氏(アトランタ銅・シドニー銀)が

主宰するプロのシンクロナイズドスイミングチームRAIKA ENTERTAINMENT

題して、シンクロならぬ、「シンフロ」!

 

テーマ曲は大分出身の作曲家・瀧廉太郎氏の名曲「花」。楽器や効果音にも、

大分ならではコダワリを詰め込んでいるんですって。

 

「シンフロ」の振付も、大分名物の「とり天」や「かぼす」「豊後牛」などを

イメージしたものが随所に取り入れられていて、なかでも見事なのが、これ。

  

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エロ目線で見てる人、誰ですか?(笑) これ、実は大分県の県旗なんですね。

  

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いっそのこと、これを機に、県旗をシンフロの写真の方に変えて欲しいと思うのは

私だけでしょうか?(笑)

 

    

あ、椅子にわざと膝をぶつけて「おお~いた~!」なんてくだらないギャグ

やってたのは、中学時代の私です。ごめんなさい、大分の皆さん。

大分の広告は、時代の最先端を行っていると思います。後退しているのは私です。

 

 

    ~   ~   ~   ~   ~

 

【本日の名言】

 

髪の毛が後退しているのはない。私が前進しているのだ。  孫 正義

                           by softbank

 

  

モザイクの向こう◆ハルカトミユキ

 

【2015.12.3 追記】 

12月に入りまして、会社の方が少し多忙となって参りましたので、

ブログをしばらく休養させて頂きます。

仕事がヤマ場を越えましたらブログを再開させて頂きます。

 

少し早いですが本年も誠にありがとうございました。

読者の皆様、お忙しい中を貴重なお時間を割いてくださって、

☆をくださった方、ブクマしてくださった方、コメントしてくださった方、

本当にありがとうございます。

 

そのことが、どれほどありがたいことであるかを今、しみじみと振り返っています。

そして今年は、はてなブログの皆様との出会いに、多くの奇跡を頂きました。

「有ること難し」。ありがたさが身に染みます。

心より御礼申し上げます。ありがとうございます。

    

皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいますよう。

来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 お題「マイブーム」

 

最近のマイブームは、歌人・福島遥(ふくしま・はるか)。

 

まずは、その歌を5首。 

 

  

 

世界中の説明文を剥ぎ取って小魚たちの餌にしてやる

 

  

 

正しさの美学を語るおばさんがきんいろに塗ってしまったことり

 

  ◆

 

しあわせがきんいろをして立っているのでおそろしくて布団をかぶる

 

  

 

「将来は何屋さんになりたいの?」ってだれか訊いてよ(みんな嘘つき)

 

  

 

死んじゃった人に謝る生きている人をずっとずっといじめる

 

  ◆

 

取り返しつかない染みを絨毯につけたい 一度だめになりたい

 

 

 

時代に目をそむけず、臭いものに蓋をしない強さが好きで、

短歌好きでもない私が、珍しく惹きこまれている。   

 

 

で、この歌人・福島遥。フォーク&ロックのデュオ『ハルカトミユキ』としても、

2013年にメジャーデビューを果たしていた。

『ハルカトミユキ』は少し前に知って、てっきりハイトーンの男性ヴォーカルだと

思い込んでいたが、福島遥が友人と組んだデュオだと知って驚いた。

ヴォーカル&ギターのハルカと、キーボード&コーラスのミユキ。

ハルカとミユキで『ハルカトミユキ』。

 

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『ハルカトミユキ』の歌は、

時代を覆っている茶番劇のようなモザイクの向こう側を見据え、

その生々しい傷口から、希望を見出し、そこに目を向けさせる。

      

 

    

 

 

福島遥の歌は、恋歌にも清新さを見せる。

なまめかくして、うつくしい。恋歌を5首。

 

 

 ◆ 

 

一篇の詩歌になっていくからだ君がわたしにすっとさしこむ 

 

  ◆

 

取り返しつかない君を見てみたい暗闇の中ふるえるmac

 

  ◆

 

泣き顔がばれないように味噌汁をもう何回も味見している

 

  

 

ぬらぬらと光るリンスでふとももに字を書いている 君は寝ている

 

  

 

人間をやめるのほうが恋人をやめるのよりも容易い程に、

 

 

 

 

福島遥の短歌は、

福島遥 短歌bot (@harukatotanka) | Twitter でも見ることができます。

 

 

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印刷屋が人種差別について考えた

お題「好きな四文字熟語」 

お題の逆、好きでない四文字熟語「人種差別」について、調べてみました。

 

 多くの人が、いまだに「人種」という概念を信じていると思います。しかしながら、

実際には「人種」というものは存在しないことが明らかになっています。生物学的、

遺伝学的に「人種」という分類はできないことは、Wikipediaにも記されています。

  

「人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つである。 生物学的な種や亜種とは、異な

る概念である。現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も

存在しない。」(Wikipedia

 

「人種」という概念の出所は、西欧では一般的に、1つには「ノアの洪水」のノアの3

人の息子から生まれ出たこと、もう1つはダーウィンの進化論とされているようです。

  

 そもそも「人種」など、ない

 

西欧では 一時、ダーウィンの進化論をもとに世界中の様々な民族を「人種」と考える時

代があり、それが西欧の人々に「他の民族グループに対する偏見」を植え付けたと言わ

れます。ですが後に世界中のすべての人は「ホモ・サピエンス」と分類され、現代科学

は、人間には生物学上たった1つの人種しか存在しないと認めています。

    

ダーウィン種の起源を発表した後、1871年『人間の進化と性の淘汰』を発表し

ました。彼の意見は「進化においては利他的な部族が有利であったが、ときに利己的な

部族によって滅ぼされることもあったであろう」というものでしたが、いつの間にか

「常に強い部族によって弱い部族は置き換えられてきた」という「弱肉強食論」にすり

替えられ、それが帝国主義や人種差別を正当化する主張に利用されました。

  

 「人は他のいかなる動物よりも慎重に研究されてきたが、彼らが一つの人種と見なされ

るべきかどうか、有能な調査者の間にも多様な意見があり、~中略~ 人々は連続的に

変わっていき、はっきりとした区別がほとんど不可能なことを表している。

              チャールズ・ダーウィン『人間の進化と性淘汰』より

   

ノアの3人の息子と迷探偵isakuの推理  

 

ノアの3人の息子セム、ハム、ヤフェト。彼らからすべての民族が生まれたからといっ

て、3人から広がった民族は「人種」と言えるほど相互の差違はありません。それなら

どうしてそこから「人種差別」が生まれたのか。聖書を引用してみましょう。  

 

 「箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父であ

る。この3人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである。

さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔

い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた2

人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの方に掛け、後ろ向きに歩

いて行き、父の裸を覆った。2人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔

いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。

カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。

また言った。

セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェトの土地を広げ、

セムの天幕に住まわせ、カナンはその奴隷となれ。」(創世記9章18~27節)

 

 

これが黒人が奴隷と定められた根拠だとされること自体、信じがたい話ですが、でも、

あれ? ちょっと待ってください!? ちょっと何か、おかしくないですか?

 

この場にいたのはノア、セム、ヤフェト、ハムなのに、ノアが「奴隷とな」と言って

いるのは、ハムの息子カナン? これって、どういうこと?

っていうか、それ以前に、酔っぱらって裸で寝てたノアが、セムとヤフェトに着物を掛

けて貰って、目覚めざまに「カナンは呪われよ。奴隷となれ」って、どういうことよ?

 

何か変。腑に落ちない。おかしい・・・。で、迷探偵 isaku は推理しました。 

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 ま、ぶどう酒を飲んで酔っ払うのも、裸で寝るのも、別に犯罪でも何でもありません。

イエス・キリストも大酒飲みだったそうですし、アダムとエバが裸で暮らしていたな

ら、裸を恥ずかしいと思う方が本来は恥ずかしいことなのでしょう。

それはともかくとして、ノアが酔いから覚めて即座に、末の息子(ハム)がしたことを

知り「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」と言っていること

に、迷探偵 isaku は注目したわけです。

 

 ノアが自分でぶどう酒を飲んで酔い、自分で裸になったのなら、酔いから覚めて即座

に、末の息子(ハム)がしたことを知るのはおかしい。酔いから覚めて即座にハムがし

たことを知ったのは、ハムが自分に何したのかを知ったということではないのか?

 

では、ハムは父ノアに何をしたのか。調べまくりました。そして見つけました!

『70人訳聖書』を訳した70人のうちの1人のユダヤ教のラビが訳している訳。

  

「そして彼(ノア)は出されたぶどう酒を飲んだ。そして彼は酔わされた。そして彼は

裸にされた。彼のその家(天幕)の中で。」

 

  おおぉぉ!

ノアは、自分でぶどう酒を飲んだのではなく、ハムに出されたぶどう酒を飲んで酔わさ

れた! それにノアは自分で裸になったのではなく、ハムによって裸にされた!

何のために?  

ノアの着物を脱がして、奪い取るために!(isakuの推理)  

なんでノアの「着物」をハムはそんなに欲しかったのか。

そう、ノアが着ていたのは、ただの着物じゃない。その時代にただ1人、創造者たる神

の祭壇で祭礼することを許された、選ばれし者だけが身につける神の祭司服なのです。

 

末っ子のハムは、それが欲しかった。だから父ノアにぶどう酒を飲ませて酔わせ、眠ら

せて祭司服を脱がし、奪った。

そして2人の兄に「父が裸で酔っ払って寝ている」と告げ口した。2人の兄セムとヤフ

ェトは、別の着物を取って、父の裸を見ないように後ろ向きに近づいて父に掛けた・・

 

着物を奪ったハムは、いったい何処へ消えたのか・・

ハムのその後の消息は、聖書には書かれていませんが、ハムの子供たちはメソポタミア

文明をつくり、エジプト文明をつくっています。

  

黒人奴隷の根拠はなかった

 

それでね。ハムが「呪われよ。奴隷となれ」と言われるのなら分かるんですよ。でも、

言われたのはカナン。ということはハムの犯罪そのものがノアに呪われたんじゃない。

で、ヘブライ語原典を調べると「呪われた」と訳すより「祝福を失った」と訳すべき。

きっとカナンは人々を指導するような重大な使命を持って生まれて来るはずだったんだ

けど、父ハムの犯罪によってそれを失った。だから使命と逆の「奴隷」と言われた。

そう訳して、そう理解すると、納得できるんですよ。

 

ノアに「奴隷となれ」と言われたカナンの子孫は、現在のシリア~イスラエル辺りに住

みました。カナンの子孫は黒人ではありません。アフリカにも住んでいません。

つまり、ノアが「奴隷になれ」と言ったのは 黒人ではない のです。 

いわゆる黒人と呼ばれる肌の黒い人たち、アフリカの地に住んだのは、ハムの子クシュ

エチオピア人)の子孫です。クシュは「奴隷となれ」とは言われていません。 

カナンはその後、人類初の「商人」となり、金銭で人を支配する仕組みを作ります。

なので、ヘブライ語で「カナン人」は「商人」と同義語です。

 

黒人差別も、人種差別も、どこにも根拠がない「言いがかり」に過ぎないのでは?

これが正解だったら、アサちゃんも「びっくりポンやわ」。 

   

                  

        人も、人も、日人も、白人も、黒人も、

         人種の違いなどない、家族なのです。

 

   

 

うた恋い

お題「甘酸っぱい思い出」

 

 

商船高専2年のある日、あまり親しくない友人Nから頼まれた。

「俺の彼女が友達を連れて来るんだけど、一緒に来ない?」

  

あまり気が進まなかったが、さほど仲良くもない私に話を持ってきたのは、

親しい友人たちに断られたからだろう、とNに同情した私は、承諾した。

  

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Nの彼女は尾道の高校に通っていて、名前は良子。

商船寮のある島からフェリーに乗り、尾道港に近い喫茶店 time time で4人で会った。

良子は私を見るなり、こう言った。

 

「あ~、久米さんに似てる! ね、名前は?」

 

久米さんとは、若い頃の久米宏さんのこと。

当時『ぴったしカン・カン』というクイズ番組の司会をしていた。

 

良子の友人の女の子は、気乗りがしないのか、

ずっと、うつむき加減で、言葉少なだった。

Nも、どちらかというと無口で、話に相槌を打つばかり。

 

場の空気を何とかしようと話を盛り上げる良子と、私。

おのずと良子と私の間で、話が盛り上がる。

 

「ね、〇〇ちゃんって呼んでいい? 〇〇ちゃん珈琲は何が好き?」

 

「え? あ、ああ・・キリマンジャロ。」

 

私はメニューで真っ先に目に入った、飲んだこともない珈琲の名を口走った。

 

「へぇ、大人なんだ。私はねぇ、ウィンナーコーヒーが好き。」

 

ウィンナーコーヒーなるものを、私はこのとき初めて知った。

 

 

 

良子と私は、2人ですっかり盛り上がり、やがてNの話題に。

すると良子は、Nに向かって、

 

「え? 私たち、付き合ってないもんね? 電車で知り合っただけだもん。」

 

私は、あわてて話題を切り替え、4人はボーリングをすることになった。

そして、夕になって私たちは、それぞれの帰路についた。

 

 

 

             ж

 

 

 

ひと月ほど経ったある日、良子から私に宛てた手紙が、寮に届いていた。

「2人で会いたい。」 

 

私は、Nの手前、「会えない」と返事を書いた。

寮に届く手紙は玄関先のカゴの中に山積みされるので、誰の目にも留まる。

良子から私に宛てた手紙をNが目にするのが嫌で、私は良子に、

手紙も送って来ないでほしいと断った。

 

それで終わったはずだった。

 

 

良子から再び手紙が来た。

「 time time のノートを読んでほしい。」

 

time time にはノートが置いてあり、客がそれぞれに想いを書き綴っていた。

私はノートを見に行ったが、そこに何が書かれていたのか、今は覚えていない。

そしてその日から、海を隔てた良子と私の、うた恋い(※)のやり取りが始まった。

  

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良子は、学生結婚に憧れていて、京都の女子大に進学したいと書いていた。

私も、京都の大学に進学したいと思った。

 

漫画『はいからさんが通る』に登場する編集長・青江冬星が好き、ともあった。

私は、出版社に勤めようかと考えた。

 

寮では、床の中でハイネを、ボードレールを、ランボオを読んだ。

 

逢えない時間が、想いを募らせた。

 

 

 

   

数か月が過ぎたある日、良子がノートに書いていた。

「今度の祝日、Nと2人で time time に来て欲しい。私も友達を連れて来る。」

  

time time で待ち合わせた4人は、良子の提案で千光寺山に登ることになった。

頂上の千光寺まで幾つかのコースがあるので競争しよう、と良子は言った。

4人はそれぞれのコースに分かれて、バラバラに頂上を目指すことになった。

 

千光寺の境内に辿り着いた私が周りを見渡すと、まだ誰の姿も見えなかった。

しばらくして、息を切らせてこちらに向かって走って来る、良子の姿が見えた。

 

良子は、私の前まで来ると、大きく一呼吸してから、言った。

 

「〇〇ちゃん・・・キスして。」

 

私は驚いて、たじろいだが、良子がまっすぐ見据える目に

吸い寄せられるように、良子に向かって歩いた。

 

そのとき、だった。

 

「お~い! 早いな~!」

 

Nだった。

次の瞬間、良子が私に向かって小さな声で叫んだ。

 

「〇〇ちゃん、違うの! 違う!」

 

 

・・・なに、が? ちがう? ・・・私は、良子の言葉の意味が分からなかった。

 

 

そこに、良子の友人が辿り着き、4人が揃った。

良子は、何ごともなかったかのような話をし始めた。

その後、展望台のレストランで食事をしたが、何を話したか、まったく覚えていない。

ロープウェーで下山した4人は、それぞれの帰路についた。

 

 

 

それから、何度か time time に足を運んだが、ノートに良子の記述はなかった。

 

良子からの手紙も来なかった。

良子に手紙を書いたが、返事は遂に来なかった。

 

 

一つだけ分かったことは、良子は千光寺山に登るコースの一番の近道を、

自分自身と私のために用意していたのだろう、ということ。

 

 

卒業後、就職した私が再び訪れたその場所に、time time は、もう、なかった。

すべてが幻だったかのように、恋だったのかさえも虚ろな、甘酸っぱい思い出。

 

 

あのときの、良子の「違う」の意味は、いまも分からない。

 

 

                 ж

 

 

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                ж  

 

  

 

※うた恋い  平安時代、男女は互いに会うことなく、

       歌を交わし合って、想いを伝え合った。   

 

      

    

 

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※「GARA DANIKKI」のmarcoさんが、  

 アルパカワインをご紹介くださいました! marcoさん家の食卓に並ぶと、

 いちだんと美味しそうです。marcoさん、ありがとうございます!!